おひとりさまによる日記

おひとりさま社会人による、本のこと、お金のこと、日常のあれこれを綴った日記。

読書アウトプット15📖

こんにちは🌞おひとりさまです!🙋‍♂️

 

今回は読売新聞「人生案内」で人気の45年間で10万人の患者さんを診た精神科医野村総一郎さんが書いた人生に、上下も勝ち負けもありません〜精神科医が教える老子の言葉〜を読ませて頂きました!本書の根幹となる考え方や僕の胸をグッと掴んだ老子の言葉を厳選して10ほどアウトプットさせて頂きます!

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◯思い込みをやめる「ジャッジフリー」の考え方

患者さんが抱える悩みや不安の根本的な原因は「いつも他人と比べてしまっている」ということ。「ジャッジ」とは判定する、判断を下すという意味の言葉。さらに言うなら「何が正しいのかを決める」という意味合い。人はさまざまな局面で無意識に「ジャッジ」している。優劣をつけ、勝ち負けを意識し、上に見たり、下に見たりしている。お金がある人は幸せで、ない人は不幸。顔がいい人は幸せで、そうでない人は不幸。友人が多い人は素敵で、少ない人は寂しい。このようなジャッジを意識的にやめるのが「ジャッジフリー」という思考。

「ジャッジフリー」は筆者の造語ですが、この考え方は古代中国の思想家「老子」のメッセージ。

 

老子の言葉(医訳)

1.「ほんとうに優れた生き方、ほんとうの業績、功績というものは、あとに何か遺物を残すというようなものではない。優れた生き方とは無為自然に帰するもの。何か証を残すことを企てるようでは本物ではない。」

人間どうしても虚栄心が先に立ち、アピールしたくなってしまう。そういう人が目立って気になることもあると思うが、それを見て、「自分は何も残せていない」と嘆いているなら、そんなことを気にする必要はない。事実として、あなたが日々やっていることは「名もなき功績」として必ず誰かの役に立ち、回り回って誰かの人生を支えてるから、こっそり、人知れず胸を張ればいい。ほんとうに優れた生き方をしている人は、自分の跡に、何も残していかないもの。

 

2.「美しい、醜い。正しい、正しくない。地位が高い、低い。どれも他人がいてはじめて成立する相対的な価値であって、たいしたことはない。なぜなら、状況が変わったり、運気が変わったりすれば、あっさりと変化してしまうものだからだ。昔から聖人と呼ばれる人は、そのような世俗の価値観にとらわれて、焦ったり、何かを企てたりせず、あえて何もしないという立場に身を置き、余計な言葉や概念を振り回したりしない。」

相対的とは比較によって成り立ってる様子のこと。美しいことや社会的地位が高いことなどは価値が高いと思われがちだが、所詮はすべて相対的で一時的なもの。美人という尺度は時代や流行によって変わってしまうし、社会的地位が高いことだって状況や運によって変わってしまう。それらの人を見て妬み、焦ってしまうときこそ、余計なことはせず、自然に振る舞うのが吉。

 

3.「最高の存在とは水のようなものである。人が嫌がる低いところへ流れ、そこに留まる性質がある。水というのは、やわらかく、弱い存在であるかのように思えるが、実際には岩をも砕く強さがある。水は、弱く、争わない存在であるが、結局は勝利を収める。中途半端に強くなろうとせず、水のごとく、あえて弱さを選択するのも一つの方法である。」

水のように生きることが最高の生き方。必要とあらば水蒸気になったり、氷になったり、四角くなったり、丸くなったり、臨機応変に姿かたちを変えることが出来る。一見すると、主体性がない弱いもののようにみえるが、水の弱さ、すなわちその柔軟さがあるからこそ、堅強なものに勝てる。弱さは武器にもなる。

 

4.「つま先立ちで背伸びしたって、長い時間は立てない。大股で足を広げて歩いたって、遠くには行けない。自分の才能を見せびらかそうとする者はかえって受けがよくない。自分の行動が正しいと主張する者はかえって正しいと思われない。自分のことを鼻にかけて自慢する人は、うまくいかない。」

一つはっきりしているのは、真の実力や自信がない人ほど自分を大きく見せようと過度なアピールをする。仮に過度なアピールが奏功して評価につながったとしても、一時的なもので遅かれ早かれメッキは剥がれる。過度なアピールをしてる人を見たら、ジャッジしないで冷ややかな目でやり過ごしておけばいい。

 

5.「悪い人を捕まえるために天が張りめぐらせた網は、一見すると粗いように感じるけれど、実際には一人も取り逃すことがない。」

日本人に親しまれる表現に「お天道様は見ている」というものがある。悪いことをすればお天道様は見てるし、反対に、誰も見ていないところで良いことをしたなら、やっぱりそれも天が見ていてくれる。例えば、みんなが嫌がる仕事をいつもしていたり、人が見ていないところでみんなのために力を尽くしたりしていると「なんで私ばっかり、こんなことやってるんだろう」という気持ちになることがある。そんな時に誰にも評価されないかもしれないが、ただ純粋に「自分が好きな自分」として振舞っていればいい。お天道様はあなた自身かもしれないんだから。

 

6.「軽々しく振る舞ったり、騒々しくしたりしていると、物事の本質を見失ったり、立場を失ったりする。静かに落ち着いてどっしりとしている態度が最終的には勝利につながる。」

浮かれて、騒いでいる時はたいてい周りが見えていない。SNSで「こんないいことがあった」と投稿したくなる気持ちはわかるけど、それを見た人にはただの自慢にしか映らないもの。あなたにとっていい風が吹いている時こそ、落ち着いてどっしりした態度で静かにする。

 

7.「そもそも忠義とか裏切らないとか、そういう倫理・道徳は誰が教えたのだ。そんなものを当てにして生きるより、そういうものは最初からないと見切り、自然に平凡に人と争わずに生きていくことのほうが大切だ。」

自然の流れに即した生き方がなくなってしまっているから忠義や仁義のような儒教の教えが取りざたされている。「相手に何かをしてあげる」のはルールに強制されるものでも、見返りを期待するものでもない。感謝の言葉すら返ってこないと悲しい気持ちにはなるが、あなたが「尽くしてあげた」ということ自体、十分に素晴らしいこと。あなたが愛のある人間だという証拠。

 

8.「何事によらず、完璧にやり遂げて、その達成のために努力するのはよいことだが、世界とは人間の力が及ばないもので、思い通りにはいかないものだ。それを思い通りにしようとしたり、自分のものにしようとしたりすると、目標達成どころか、滅びの道になりかねない。」

「完璧にやらなきゃ」は自分や他人を追い詰めるからあまりよくない。「いい加減でやる」のが丁度いい。「頑張ったから報われる」「良いことをしたから褒められる」などいつもいつも正しい因果関係があるわけじゃない。「今の自分にできること」を懸命に頑張る。それ自体が美しいし、その時間が尊い

 

9.「知ったかぶり結局ボロがでる。知っていても知らないと言うのが謙虚な人間である。だいたい知っていると言っても、どのレベルで知っているのか怪しいものだ。ここは知らないとするのがよい。まして知らないのに知っていると言えば災難がもたらされるだろう。」

少し知っていても「深く知らないこと」のほうがたいていは多い。そんな時は知識を得られるチャンス。相手との会話で知ったかぶりをしてボロを出すくらいなら「相手の話を興味深く聞いている」というスタンスのほうが思いやりに溢れて素晴らしい。

 

10.「硬く、こわばっているより、フニャフニャとして柔らかいもののほうがいい。樹木にしても、若いうちは柔らかいが、歳をとって枯れると硬くなってくる。強く硬いものより、柔かいもののほうがより生に近いのだ。」

絶対的な強さで引っ張っていくリーダーは素晴らしい。しかし、世の中はそんな強いリーダーだけではなかなかうまく回らない。弱くて柔かな人がいるからこそ世の中は回る。強くて硬いリーダーは折れやすい。弱くて柔らかい人のほうが折れにくく、しぶとく生きられ、より生に近い。

 

本書を読んで、老子の思想が「ほんとに好きだな〜」と感じました。ジャッジフリーで生きていきます!「自分が好きな自分」を追求していきたいと思います!

 

お読み頂きありがとうございます🙇‍♂️

水のように在りたいですねww